『暗躍するパン職人』田所 迅と、その手のひらの上で踊らされる後輩たち

 

 

「次の主将はおまえだ!小野田」
手嶋の言葉に、内定を知らされた瞬間からずっとパニクり気味だった小野田が、ガッチガチにかたまったまま素っ頓狂な声で応える。

「はッ…はは、はひッ」

あ〜あという顔で隣の小野田を見やった鳴子が、その肩をポンと叩く。

「緊張しすぎや、小野田くん」

「なっな…なな鳴子ッくんッ!」

「大丈夫やから、もうちょい落ち着きや」

(あのおっさん、どSやろ!小野田くんも可哀想にな。けど心配せんでも大丈夫やで。小野田くんはワイが出来る限りフォローしたるからな)

素知らぬ顔をしながらも、鳴子は心のうちで密かに腹をくくった。

 

詳細までは聞いていなかったが、これが田所の差し金であることは、アドバイスをもらいに行った時の田所の口ぶりからも、鳴子には容易に察しがついた。

わかっていて素知らぬふりを続けるのは、これで引退する先輩たちのメンツを慮ってのことだ。

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手嶋たちを飛び越して、鳴子が田所にアドバイスを求めたことが知れたら、さしもの甘ちゃんな先輩たちもいい気はしないだろう。

もっとも、鳴子がそこまで気を回さなくても、どうせ田所が抜かりなく手を回しているに違いないのだったが。

 

小野田の有様を見やって苦笑いしつつ手嶋が先を続ける。

「副主将は…今泉!」

「はい」

小野田とは対照的に落ち着き払った今泉が冷静に応えを返し、緊張しすぎて教えられた手順を忘れたかその場を動かない小野田を促して、揃って前に出る。

意外すぎる人選に動揺を隠せない後輩たちは、落ち着きなく互いに顔を見合わせてざわざわしはじめる。

「静かにしないか」

冷ややかな今泉の声に鞭打たれて後輩たちは静まったが、皆の注視を浴びて完全にテンパっている小野田は今にも卒倒しそうだ。

それを横目でチラリと見おろして、副主将になったばかりの今泉がさっそく主将の小野田をフォローする。

主将の小野田がやるはずの就任挨拶も意気込みの表明も、小野田の代理で今泉がさっさと片付けてしまう。

さすがは暫定主将と囁かれていただけあって、今泉はよほどこういうことに手慣れている様子だった。

手嶋がそこはかとなくニヤついているように見えるのは、鳴子の目の錯覚ではないはずだ。

ボス猿(もとい、ボス熊か?)に入れ知恵された策士手嶋に、今泉がどういうふうに言いくるめられたのか、いずれ聞き出してやろうと思う鳴子であった。



「…以上だ。最後に主将からひとこと…小野田、いけるか?」

「は、はひッ!ふ、ふふふふつつかッ者ですがッ、よろしくお願いしますッ!」

言い終えると同時に、小野田が勢いよく二つ折りになってお辞儀する。反射的に後輩たちもそれに倣う。

「おねしゃーっス‼︎ 」

小野田を除く2、3年生以外の全員が九十度の角度で一斉に頭を下げあって、これで主将交替はつつがなく終わった。

この瞬間、総北高校自転車競技部の新体制がスタートを切った。

 

 

 

《厨房で暗躍するパン職人》

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『ショ⁉︎ 小野田が主将になったのは田所っちの差し金だったって?それ初耳ショ』

電話口の巻島が、その先を続けられずに絶句した。

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「まぁな。で、だ巻島、どうせ小野田の手紙か電話でなんでも知ってるんだろう?事のついでに可愛い後輩のためだぜ?おまえもひと肌脱いでやらねぇか」

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当面は小野田の面倒を見る今泉、後輩の面倒見を引き受ける鳴子で、自主的に仕事が分担されることになる。

この役割分担は、小野田が次の主将に指名されるとわかった時点で、暗黙の了解として即座に決まったものだった。

 

部員の各自のデータを収集して練習メニューを考えたり、部の予算や部長会議に至るまでの関連業務の全てが、どれもアニメオタクの小野田には初めての経験だった。

ほとんど手取り足取りで、運動部の主将に必要な知識や何もかもを今泉にイチから教わる羽目になる。

当分は後輩たちの指導どころではないので、そちらは鳴子が引き受けて、分担して進めてゆくお互いの進捗ぐあいは小野田を介してやりとりするという回りくどいことになったのだが、逆にそれが功を奏した。

小野田と違って、鳴子のほうは今泉の口出しを歓迎する気なんかさらさらなかった。口うるさいお節介なやつがいなくて、よほど気楽にのびのびやれたのだ。

そうでなくても、何かと言えばしゃしゃり出たがる杉元や、扱いが面倒な鏑木もいるし、現在の総北は大所帯だ。こちらも小野田の現在のレベルでは到底さばききれなかっただろうが、鳴子にはそれを楽しめる余裕があった。

 

鳴子はあまりヤル気がなかったり、すぐサボりたがるような者だけをちゃっかり杉元に押しつけて、残りの後輩は経験も成績も無関係にまとめて面倒みていた。
たしかに小野田には…今泉にすらも模倣できるようなやり方ではなかった。

小野田が申し訳ながるので、全員で一斉に練習したり、今泉や小野田も一緒に後輩と練習する時はお役御免と決まった鳴子は、調整で空いた時間は好きなだけ個人練習に当てることを許された。

楽しみながら小野田のフォローもできて、個人練習の時間まで確保してもらえるのだ。鳴子にしてみれば、願ったり叶ったりである。

田所からは色々とムチャブリをされていたのだが、少しぐらいなら感謝してやってもいい気分の鳴子だった。

 

申し訳ながりつつも小野田が完全に頼り切っている今泉や鳴子の全面的なフォローがなければ、彼はこの想定外の役職の重責に耐えられず潰れていたかもしれない。

当初はそうした懸念があったにもかかわらず、小野田を主将にいただいた新生チーム総北は、当事者たちの不安や心配が嘘のように順風満帆なすべりだしだった。

 

 

今泉のほうは、データ分析等の数字関連業務はほとんど個人的な趣味の域に達していたので、皆のデータを把握して活用するぐらいはお手のものだった。

しかも、今泉が主将に任命されていれば回避できなかった彼が苦手としている分野のほうは、彼を「計算機」呼ばわりする別の人間が一手に引き受けてくれたので、どれだけ小野田のフォローをしようとも、今泉は負担らしい負担も感じていなかった。

 

今泉の苦手分野を一手に引き受けていた鳴子は、タイプの異なる後輩たちを扱うことにかけて、途方もない才能を発揮していた。

元スプリンターで現在はオールラウンダーのダブルエースとして知られていた鳴子だったが、これまで総北自転車競技部での公的な実績は残していなかった。

小野田はインターハイ個人総合優勝、今泉もカラーゼッケンを獲っていたが、鳴子はインハイを2年連続途中リタイアで終わっていて、カラーゼッケンの1枚すら獲得していなかった。

彼がどんなにチームに貢献していようとも、それを直接まのあたりにしていなければ、後から加わった下級生にはカタチとして見える結果が全てである。

見た目は小さい小さいと言われ続けている小野田と似たようなサイズなのだが、不思議に小野田よりも大きく見えるのが鳴子だった。

とは言っても、下級生の集団の中にいても鳴子が小柄なのは動かしようのない事実だったし、それを理由に鳴子をナメたり、いくぶん反抗的な態度に出るやつもいなくはなかった。

鳴子はみずからの実力をもって、そうした連中を黙らせる必要があった。

 

チーム総北の第三世代がスタートしてしばらくして、鳴子は鏑木たち後輩と一緒に、その年最後のクリテリウムのレースに臨んだ。

一緒にレースに参加した者も、応援に来ていた者たちも、総北メンバーのワンツーでの勝利に歓喜した。

何より後輩たち全員の目も心も奪ったのは、ひときわ目立つ派手な赤い髪とバイクで、ぶっちぎりでゴールを駆け抜けた最速の男「鳴子章吉」の勇姿だった。

 

観客の中には鳴子の名前や実力を知る者も多く、「毎年インハイを沸かせる赤い男」の逸話だの「関西ジュニア時代から負け知らず」といった、彼らがそれまで知らなかった鳴子の高い評価や評判は、彼の後輩として、たまらなく誇らしいものに感じられた。

唇を噛み締めて悔しがったのは2位でゴールした鏑木ぐらいのものだった。

本気で悔しがる鏑木を、ここぞとばかりに鳴子は挑発した。

「どうや?カブ、ワイに勝てるか?」

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そのたったひとことで、鏑木は箱根学園の銅橋なんかよりも、確実に先に倒さなくてはならない相手が目の前にいることを悟った。

「あったりまえっス!鳴子章吉、俺はすぐにアンタを超えてみせる‼︎ 」

「さよか。ほんならいつでもかかってきたらええけど、返り討ちにされても泣くんやないで」

「泣きませんッ!」

 

鏑木が子供みたいに地団駄をふんで悔しがったのも最初のうちだけだった。

鳴子章吉は、鏑木にとっては目標とする存在であり、乗り越えてゆくべき壁でもあることを次第に自覚するようになってゆくのだった。

鳴子を目標とすることを決めたのは鏑木だけではなかった。

この日を境に、鳴子と後輩たちの関係は完全に正常化した。

後輩たちの生意気な態度は影をひそめ、鳴子を見る目が変わった。

これまでは敵わないと諦めていた鏑木をライバル視してでも、自分も一緒に走りたいと望む者が一気に増えたのだ。

 

鳴子も自身に課していた目標をひとつ達成できたし、面倒をみている後輩を完全に掌握するオマケまでついてきて、陰でこっそりガッツポーズをした。

別にこっそりやらなくても良さそうなものだが、こんなところで全開で喜んでるのがバレて、田所を楽しませるわけにはいかない。

張ってなんぼの鳴子の意地ぐらい、あのデカい熊はお見通しだろうが、それはそれだ。

課題がひとつ片付いたぐらいで喜んでいるヒマはない。さっさと次を攻略することに全力をかたむけるべきなのだ。

事態は着々と、暗躍するパン職人田所の目論見どおりに進んでいった。

 

 

今泉のフォローのおかげもあって、小野田にも次世代クライマーを育成する時間と心の余裕ができた。

みずからのハイケイデンス・クライムを後輩たちにそのまま真似させるのは得策ではないことを小野田は知っていた。

どうすべきかは、小野田が初めて巻島と裏門坂を一緒に登ったあの日、今も誰よりも尊敬している先輩クライマーの巻島から、ちゃんと教わっていた…。

 

「自分流を貫いて早くなるのがいちばんカッコいいんだよ」

後輩たちに説明する小野田の脳裏に、あの日からずっと追いかけ続けている巻島の後ろ姿が浮かぶ。

バイクを左右に振って、玉虫色の長い髪を揺らして、誰にも追いつけないスピードで小野田の先を登ってゆく巻島の姿が…。

 

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「今泉くんも鳴子くんも、僕とは違うやり方で登るよね?それが2人が見つけたいちばん早い登り方だからなんだ。だからみんなも、自分がいちばん早く登れるやり方で僕についてきて!」

言い置いて、小野田から先に坂を登る。

まずは自分がやってみせるというやり方で、あっという間に後輩たちを掌握してのけた鳴子のそばで、駆け出し主将の小野田はここでも多くを学んでいた。

総北高校自転車競技部の主将は小野田坂道だったけれど、実際には3人の主将がそれぞれの得意分野を受け持っているのと同じだった。

 

 

 

小野田だけでなく、今泉と鳴子も、クッション役の小野田を間において眺めるようになって初めて、お互いが得意とする分野での相手の真の実力を認めることができるようになっていた。

鳴子は数字で考えるのが苦手だったし、うるさい連中に囲まれるのが嫌いな今泉には、逆立ちしたって鳴子の真似は出来なかった。

互いにそれを認めて、真正面から認められる部分を認めていちいち張り合うのをやめてしまえば、ケンカのネタも必要も半減してしまった。

あとは互いにもう少し歩み寄る余地が残されていたが、これは今泉の成長が追いつくその時まで据え置きとなっていた。

 

そんなこんなで、一部では小野田を主将に選んだ手嶋の慧眼が密かに賞賛された例もあったが、ごくひと握りの人間たちだけは、この成果をもたらした影の黒幕が別に存在することを知っていた。

 

 

 

《厨房で暗躍するパン職人》

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「いいか鳴子、すげえエースの実力を身につけたらな、そいつは隠して “エースは今泉に任せろ” それがベストだ」

と田所は助言した。

「お前は正体を隠して自由に動け。スプリントでも山岳でも、最後の夏だぜ?イケると思えば好きに獲りゃいい。それまでに今泉を上手く操縦できるようになってりゃの話だがな。あいつになんでもかんでもノーと言わせる代わりに、向こうから“頼む”と頭を下げてくるように仕向けてやれ」

「相変わらず、ひとの顔を見たらムチャブリしかせえへんおっさんやな。けどまぁ、ワイの想像でもオモロいことになりそうやし、おっさんの言いなりになるんは癪やけど、ここまできたら最後までやったりますわ!」

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春休みも終わりに近いその日、不意に鳴子は「…今ならやれる」という直感めいた手応えを感じた。

その日は基本練習が必要なレベルの者たちの指導を今泉と杉元に任せて、鳴子と小野田は、インハイメンバーの候補に名前があがっている後輩たちを連れて、峰が山を登っていた。

 

唐突に小野田と勝負しようと心を決めた鳴子の行動は素早かった。

「行くで、小野田くん!」

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激坂の途中で、鳴子がいきなり加速して、小野田も驚くようなスピードでどんどん先へ登ってゆく。

あっという間に視界から消えた鳴子を追って、小野田も笑顔で加速する。

「待って、鳴子くん!みんなごめん、先に行くね。頑張ってついてきて」

後輩たちも、慌てて2人を追いかける。

むろん、どんなに必死にペダルを回したところで、彼らが2人に追いつけるわけはなかった。

 

先行した2人は、あっという間に遠くまめつぶサイズだ。

小野田坂道はインターハイ個人総合優勝のクライマーなのだから当然だ。

…では、鳴子章吉は?

仲間内でも一目置かれている鏑木をスプリントであっさりくだして、鳴子がぶっちぎりで最速スプリンターの実力を見せつけたことを知らぬ者はいない。

最速スプリンターのはずなのに、山も登れるオールラウンダーで、そして今また《山王》小野田と競えるほどのスピードで山をも登れることを、鳴子は後輩たちに証明しようとしている。

「小野田主将もだけどさ…鳴子先輩って、なんかスゴくないか?」

誰かがもらしたつぶやきに、その場の全員が一斉に首を縦に振った。

「おいおい、見とれてる場合じゃねえ!追いかけるぞ!」

「おう‼︎ 」


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春休みが終われば、また新しい部員が入ってくる。

暫定で名前があがっている者もいたが、インターハイメンバーの選抜もすぐそこまで迫っていた。

自分も小野田や鳴子と一緒に走りたい!

あの3人の背中を追いかけたい!

その想いに突き動かされて、後輩たちは今日も夢中でペダルを回し続ける。

 

 

 

『おことわり』

これは「インハイ前シーズンの妄想話」の続きです。

もっと鳴子が活躍する話が読みたくて捏造している妄想未来なので、あしからずご了承ください。

原作の設定とは無関係な妄想なので、いずれ原作で小野田でない別のキャラが次の主将になっても、当方の知ったことではありません。念のため。