今ごろになって初めてラストまで観たアニメ「金色のガッシュベル 」に存在したおとなの事情

 

 

アニメ《金色のガッシュベル》は、放映時にリアルタイムで観てどハマりした作品でした。

f:id:kagaminonakanoalice:20190224003807p:image

ガッシュベルを知らないひとのために簡単に説明すると、魔界から『王を決める戦い』のために人間界にやってきた100人の魔物の子供たちが、人間界でそれぞれにパートナーを見つけて互いに戦う物語です。

魔物のパートナーになれる人間だけが、魔物がそれぞれ持っている『本』の呪文を読むことが出来て、パートナーの人間が発する呪文によってのみ魔物は自分の特別な力を出して戦うことができます。

主人公のガッシュのパートナーとなる清麿は、何故かガッシュだけが魔界の記憶を失っていたせいで、わけもわからず魔界の王を決める戦いに巻き込まれてゆくことになります。

 

当時は周囲の子供もおとなもみんなハマってたような記憶がありますが、これは原作の設定がわかりやすくできていたせいだと思われます。

魔物は基本的に子供(なんだけど、明らかにオトナみたいな魔物や、動物系に妖精系にロボもどきなど何でもアリ)です。

魔物のパートナーとなる人間は、メインキャラやワキ役ランクには『良い人間』を、やられ役のモブには『悪い人間』を配していたようです。

魔物の側も、基本的にこれと似た基準で『良い魔物』と『悪い魔物』に大別されます。

王になるために、仲間を蹴落として勝ち上がるためならなんでもやるような邪悪な魔物は、モブの『悪い人間』とコンビになります。

悪い魔物のパートナーになるような人間は、魔物の力を利用して自分の欲望をかなえたり、犯罪行為におよぶなどやりたい放題の悪い人間です。

モブの『悪い人間』よりも少し格上のワキ役レベルになると、メインキャストほどの掘り下げはないものの、それぞれの事情をかかえたいろんな人間たちが登場します。

純粋に魔物の力になってやりたいと考える者もいれば、魔物のパートナーになったこと自体を楽しむ者、何かの代償として魔物のパートナーとなることを選んだ者などさまざまです。

子供はメインキャラの『良い魔物』に感情移入し、おとな達は人間の側のそれぞれの経緯や、魔物との関わり方などに感情移入しやすいという仕掛けもよくできていました。

これ以上は各自で原作マンガを読むか、映像配信サービス等でアニメをみてください。

f:id:kagaminonakanoalice:20190304123043p:image

 

じつは私の中では、ゾフィス戦以降の《金色のガッシュベル》は、ずっと無かったことになっていました。

ゾフィスというのは「シェリー」の宿敵の『悪い魔物』で、シェリーの親友ココをパートナーにしてその心を操り、この戦いに勝ち残って王となり、魔界に君臨することを画策していました。

シェリー」は王を決める戦いの最後でガッシュと雌雄を決することになる「ブラゴ」という超強い魔物のパートナーです。

当時の私は、ものすご〜くこの作品を高く評価していたので、このゾフィス関連で色々と許せないことが重なって、頭にきて観るのをやめたのが「無かったことになっている理由」なんですけどね(笑)

こう言うと、ガッシュの声優が変わった件や、結局ブラゴ達と戦わずに終わったラストだとか、原作と異なる終盤のアニメオリジナルな展開のせいだと思うかもしれませんが、そこではありません。

それらはみんなゾフィス戦以降の展開なので、もちろんその辺りも全く無関係ではないのですが、私が許せなかった部分はもっと別の部分にありました。

だいたい私は原作のガッシュベル読んでませんしね(またコレだw)

 

じゃあ何がそんなに許せなかったのかというと、リアリティとフィクションの兼ね合いというか、ぶっちゃけ「アニメ制作側の大人の無神経な子供扱い」が許せなかったのでした。

子供なら、子供扱いされて当然だと思うかもしれませんが、子供の側は無論そうは思っていません。

だいたいが「子供が子供あつかいされる理由のほとんどは大人の都合や事情が優先」される場合だと、そのくらいは子供だってわかっています。

だから、いかにもな子供だましや子供あつかいには、「子供ナメんじゃねぇぞ」と腹を立てるのが正しい子供のあり方なんじゃないかと考えるわけです。

オトナが「子供にみせるならこんなもんだろう」的な感覚で、道徳と綺麗ごとで飾りたてた「オトナにとって都合のいい子供」像を押しつけてくるようなごまかしに直面すると、子供は「そんな嘘っぱちに騙されるかよ」という反骨精神が刺激されたりするものなのです。

ゾフィス戦のラストは、私にはまさしく「それ」だったんですよね。

 

金色のガッシュベル》は、それまで子供の心理をストレートに描いて、そこがファンに支持されてきた特別なアニメだったのです。

それなのに、ゾフィス戦のクライマックス辺りで、「それは違うんじゃないの?」って方向にいっちゃったんですよね。

では、当時の私がどこを「違う」と感じたのか、裏切られた気分になって続きを観ることを拒否したのか、その理由を、途中から完全に別人化したゾフィスをつかって検証していきます。

 

ゾフィスのキャラは、この辺りまでは邪悪さとお上品さが売りでした。

f:id:kagaminonakanoalice:20190225061855p:image

一人称は「わたし」で、デスマス調で話すタイプのキャラです。

例えるならば、「コノヤロウ!」と言うような場面で、嫌みな笑みを浮かべて、お上品な皮肉を言う感じ?

ところが、ブラゴ達との決戦が始まると、ゾフィスは、ひと(魔物)が変わったように豹変します。

声を荒げて「ふざけんじゃねぇ!」だの「くたばりやがれ!」といった、ゾフィスとも思えない粗暴なセリフを連発するようになるのです。

 

もしもガッシュが「てめえ、ぶざけてんじゃねえぞ」などという粗暴な言葉づかいをするようなことがあったら、超違和感じゃないですか?

ガッシュの「昔のサムライもどき」の独特な言葉づかいの理由はわかりませんが、アレ以外の言葉づかいをするガッシュガッシュじゃないのです。

「ふざけやがって」なんかもそうですが、これはブラゴみたいな武闘派キャラのセリフなわけで、本来ゾフィスのセリフではありません。

しかし戦いが大詰めになってくると、ゾフィスはこれまでとは打って変わって知性のかけらもない粗野なセリフを連発したり、子供ウケを狙ったのか変顔も見せたりするようになります。

f:id:kagaminonakanoalice:20190225062041p:image

途中から一人称が「俺」になったり、どうせゾフィスのファンなんかいないだろう(?)から、ここへきて別人みたいな言動をしようがやりたい放題です。

こんなふうに、アニメには少しずつ「これまではなかった勝手なオトナの観点」みたいなものが混じってくるのです。

ゾフィスが「ガッシュたちの共通の敵に相応しい悪役」に見えるように、子供にもわかりやすく、わざと下品で野卑た言動をさせるという、アニメ制作側のおとなの作為を感じたのです。

ここまでずっと基本的に純粋な子供目線を意識して描かれていた物語に、こうした「おとなの都合や事情」といった不純物が混ざりだしたことを、私は敏感に察知したのでした。

 

ゾフィス戦のクライマックスでは、ガッシュ達の攻撃や、シェリーとブラゴによる激しい攻撃呪文で追いつめられたゾフィスは、それでも最後の抵抗を試みます。

f:id:kagaminonakanoalice:20190225062315p:image

ゾフィスはココの記憶を盾に、起死回生の策を講じるのです。

ここで1度は勝ったつもりになるのですが、悪魔のごとき形相とオーラで迫ってくるブラゴがマジ怖すぎて形成逆転、泣いてごめんなさいするはめに(おいおい💧)

f:id:kagaminonakanoalice:20190225062254p:image

よほど怖かったのか、この後のゾフィスは、涙腺全開になっちゃうわ、叱られたお子ちゃまのごとくしゅんとするわで、すっかり別人と化して反省のポーズを見せたりもします💧

f:id:kagaminonakanoalice:20190225062453p:image

f:id:kagaminonakanoalice:20190225062505p:image

これは今みても興ざめもいいところだったんですよね。

ちょっと!それって大人の勝手な妄想で、あのゾフィスがブラゴに凄まれたぐらいでそうはならないでしょ⁈ って。

この辺りまでくると、違和感どころじゃなくて、もはやゾフィス別人になっとるやん…と呆れるほかありません。

直接的な理由はどうあれ、ゾフィスが自分の非を認めて反省したのなら“殊勝な態度”になるべきで、それが「正しい子供」像だとでも言いたいわけでしょうか。

子供なら怖かったり叱られて泣いたりするのも当たり前だろうみたいな?

ゾフィスはブラゴが怖かったから、今だけおとなしくしてみせただけなんじゃないの?って、大抵の子供はそう考えたんじゃないかと思うんですけどね。

 

 

当時、このアニメを作っていたオトナの皆さんには、子供には「子供だましが通用する子供であってほしい」という勝手な思い込みや幻想なんかがあったのではないでしょうか。

今でもよくあることですが、でも、そういうのを察知した子供の側は、「何にもわかってないな」と呆れるか、反省したフリだけしておけば大抵のことからは逃げられる、といった誤った認識を持つようになったりすると思うんですね。

この時のゾフィスのように、子供がいかにも反省してるふうに見える時ほど、わざとそうして見せてるポーズなんだって、かつては自分もそうだったのを忘れたんですかね?でも子供って、そういう生き物ですよ?

これは好きだし、全然いいけど、

f:id:kagaminonakanoalice:20190304123221p:image

コレはコレ、あれはあれです。

ギャグで許せる部分と「綺麗ごとで台無しにされた押しつけがましい思い込みのリアリティは別」なんです!

子供には子供の理屈があって、おとなの理屈は子供には通用しないんです。

ベリーメロンを歌って踊るのはOKだし、ガッシュの影響でブリが好物になるのもアリです。

f:id:kagaminonakanoalice:20190226015338p:image

でも、あれだけやりたい放題してきたゾフィスが、1回ブラゴの威圧的な態度に屈したぐらいで、手のひらを返して殊勝に反省したりなんかするもんかい!

って、その「嘘くささ」を押しつけてくるおとなの論理に、当時の私は我慢ならなかったんですよね。

ここは意地でもゾフィスには「今回は負けたけど次はそうはいかないからな!」と、表向きは殊勝なふりをしていても、心の中では意地でも強がってほしかったところです。

でないと、これまでゾフィスがやってきた残虐非道な悪事のあれもこれもすべてが薄っぺらく、かつ嘘っぽく見えてきませんか?

だから、アレはおそらくアニメのスタッフが勝手にやったことで、原作はここまで酷い展開ではなかったんじゃないかと勝手に思ってるんですけどね。

 

 

オトナになった今の目で久しぶりに観た《金色のガッシュベル》は、面白かったのはやはりゾフィス戦あたりまでで、この後はラストへ向けてのインターバル的な回が続きます。

本当に「あれでゾフィス編は終わりなわけ⁈」という落胆が、ならもう続きは観なくていいやと思わせてしまったようです。

つまらなくなった理由は他にもありました。

当時の私は気づいてなかったけれど、例によってガッシュベルも、アニメが原作に追いついて脚本が間に合わずにアニメオリジナル化するほかなくて、それで脚本が変わって暴走したんですよね?

たしかにラスト近くの怒涛の駆け足展開は今みても何が何だか……💧

いっそアニメはゾフィス戦までで終わっておけばよかったのに…仮に現場ではみんなそう思っていたとしても、出版社やスポンサーという大人の事情がそれを許さなかった可能性も否定できません。

それが原因で大暴走というのはありそうな話だし、FA以前のアニメ鋼の錬金術師もそうでしたが、原作が途中からアニメオリジナル化するとロクなことにはなりません。

こうした事情は子供にはわかりませんが、おとなになればそれなりに察しがつくものです。

ま、それでもやっぱりゾフィスが殊勝に反省してるふうな展開のラストは許せなかっただろうと思いますけどね。

 

 

金色のガッシュベル》の原作は、登場する魔物の児童心理をとても上手に描いていて、単なるアニメやマンガの域を超えた作品でした。

個人的には、この作品は児童文学としても十分に通用したのではないか…と私は考えています。

その作者が描いていて、まさかこんな酷いラストにはしないだろう…というのが正直な気持ちです。

だからゾフィス戦のラストが、じつはほぼ原作どおりだったりなんかすると、残念だったじゃ済まない話になってくるんですけどね💦

f:id:kagaminonakanoalice:20190304123332p:image

だって、あのゾフィスが子供らしく「ごめんなさい」するなんて、ティオを裏切ったマルスのパートナーのモブおじさんなんかと同じような扱いなんですよ⁉︎

王を決める魔物の戦いをおのれの私利私欲の追求に利用しようとする『悪い人間』のモブたちとゾフィスが同レベル?

彼らは戦いに負けて本が燃やされてしまうと、異口同音に「俺が悪かった!謝るから殺さないでくれ」と叫んで逃げ出したんですよ?

セコい悪事をはたらくのがせいぜいで、魔物というツールを使えなくなった途端に逃げ出すような彼らのメンタリティはその程度で、だからモブの小悪党あつかいだったわけです。

そんな小悪党連中と邪悪な魔物のゾフィスが同等扱いなんですか?

だとしたら、ゾフィスのせいで苦しむことになったたくさんの魔物たちや、シェリーやココだって馬鹿みたいに思えてくるじゃないですか…💧

f:id:kagaminonakanoalice:20190304123343p:image

f:id:kagaminonakanoalice:20190304123357p:image

石板に閉じ込められていた1000年前の魔物たちを蘇らせて配下に従え、月の光という特別な魔力を手中にしていてさえ、それでもゾフィスの正体は「単なる小悪党」にすぎなかったと?

所詮ゾフィスは、ガッシュやブラゴの敵となれるような器ではなかった…それは事実かもしれません。

だからといって、ゾフィス戦のラストでブラゴたちに負けたら途端に別人と化したゾフィスは、あまりにもお粗末だったんじゃないのか…と。

 

2月いっぱいかけて、駆け足でどうにか最後まで通しで観たアニメ《金色のガッシュベル》の感想は、やはり昔も今も変わっていませんでした。

ゾフィス編のラストでは、今回もまた、さじだけでなく、ナイフもフォークも箸も、お皿もテーブルもまとめて投げてやりたい気分でした。

べつにゾフィスなんてどうでもよかったんだけど、子供相手ならアレでいいだろう?って感じが、いま観ても許せなかったんですね。

我ながら、おとなになってもたいして成長してないなと思う反面、ベリーメロン♪ を歌って踊っていた頃から、私ってばこういうことを考えてたのか…と再認識した次第です(笑)