今ごろになって初めてラストまで観たアニメ「金色のガッシュベル 」に存在したおとなの事情

 

 

アニメ《金色のガッシュベル》は、放映時にリアルタイムで観てどハマりした作品でした。

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ガッシュベルを知らないひとのために簡単に説明すると、魔界から『王を決める戦い』のために人間界にやってきた100人の魔物の子供たちが、人間界でそれぞれにパートナーを見つけて互いに戦う物語です。

魔物のパートナーになれる人間だけが、魔物がそれぞれ持っている『本』の呪文を読むことが出来て、パートナーの人間が発する呪文によってのみ魔物は自分の特別な力を出して戦うことができます。

主人公のガッシュのパートナーとなる清麿は、何故かガッシュだけが魔界の記憶を失っていたせいで、わけもわからず魔界の王を決める戦いに巻き込まれてゆくことになります。

 

当時は周囲の子供もおとなもみんなハマってたような記憶がありますが、これは原作の設定がわかりやすくできていたせいだと思われます。

魔物は基本的に子供(なんだけど、明らかにオトナみたいな魔物や、動物系に妖精系にロボもどきなど何でもアリ)です。

魔物のパートナーとなる人間は、メインキャラやワキ役ランクには『良い人間』を、やられ役のモブには『悪い人間』を配していたようです。

魔物の側も、基本的にこれと似た基準で『良い魔物』と『悪い魔物』に大別されます。

王になるために、仲間を蹴落として勝ち上がるためならなんでもやるような邪悪な魔物は、モブの『悪い人間』とコンビになります。

悪い魔物のパートナーになるような人間は、魔物の力を利用して自分の欲望をかなえたり、犯罪行為におよぶなどやりたい放題の悪い人間です。

モブの『悪い人間』よりも少し格上のワキ役レベルになると、メインキャストほどの掘り下げはないものの、それぞれの事情をかかえたいろんな人間たちが登場します。

純粋に魔物の力になってやりたいと考える者もいれば、魔物のパートナーになったこと自体を楽しむ者、何かの代償として魔物のパートナーとなることを選んだ者などさまざまです。

子供はメインキャラの『良い魔物』に感情移入し、おとな達は人間の側のそれぞれの経緯や、魔物との関わり方などに感情移入しやすいという仕掛けもよくできていました。

これ以上は各自で原作マンガを読むか、映像配信サービス等でアニメをみてください。

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じつは私の中では、ゾフィス戦以降の《金色のガッシュベル》は、ずっと無かったことになっていました。

ゾフィスというのは「シェリー」の宿敵の『悪い魔物』で、シェリーの親友ココをパートナーにしてその心を操り、この戦いに勝ち残って王となり、魔界に君臨することを画策していました。

シェリー」は王を決める戦いの最後でガッシュと雌雄を決することになる「ブラゴ」という超強い魔物のパートナーです。

当時の私は、ものすご〜くこの作品を高く評価していたので、このゾフィス関連で色々と許せないことが重なって、頭にきて観るのをやめたのが「無かったことになっている理由」なんですけどね(笑)

こう言うと、ガッシュの声優が変わった件や、結局ブラゴ達と戦わずに終わったラストだとか、原作と異なる終盤のアニメオリジナルな展開のせいだと思うかもしれませんが、そこではありません。

それらはみんなゾフィス戦以降の展開なので、もちろんその辺りも全く無関係ではないのですが、私が許せなかった部分はもっと別の部分にありました。

だいたい私は原作のガッシュベル読んでませんしね(またコレだw)

 

じゃあ何がそんなに許せなかったのかというと、リアリティとフィクションの兼ね合いというか、ぶっちゃけ「アニメ制作側の大人の無神経な子供扱い」が許せなかったのでした。

子供なら、子供扱いされて当然だと思うかもしれませんが、子供の側は無論そうは思っていません。

だいたいが「子供が子供あつかいされる理由のほとんどは大人の都合や事情が優先」される場合だと、そのくらいは子供だってわかっています。

だから、いかにもな子供だましや子供あつかいには、「子供ナメんじゃねぇぞ」と腹を立てるのが正しい子供のあり方なんじゃないかと考えるわけです。

オトナが「子供にみせるならこんなもんだろう」的な感覚で、道徳と綺麗ごとで飾りたてた「オトナにとって都合のいい子供」像を押しつけてくるようなごまかしに直面すると、子供は「そんな嘘っぱちに騙されるかよ」という反骨精神が刺激されたりするものなのです。

ゾフィス戦のラストは、私にはまさしく「それ」だったんですよね。

しかし当時の私は、自分の感じたことをきちんと伝える言葉をもたず、説明不足のせいもあって誰にも理解してもらえず、悲しいおもいをしたものでした。

今ごろになってこんなところでこんなことを書いているそれが理由だとすれば、うまく言葉で説明は出来なくても、よほど頭にきていたんだなと、自分のことながら、呆れつつもちょっと感心したりしてしまうのですが(笑)

 

そうは言っても、大人気だったビクトリーム様の「ベリーメロン♪」なんかは、おとなの目には何がどういいのか理解不能でも、私も大好きだったんですけどね(笑)

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アレはいいんです。でも《金色のガッシュベル》は、それまで子供の心理をストレートに描いてファンに支持されてきた特別なアニメだったのです。

それなのに、ゾフィス戦のクライマックス辺りで、「それは違うんじゃないの?」って方向にいっちゃったんですよね。

では、当時の私がどこを「違う」と感じたのか、裏切られた気分になって続きを観ることを拒否したのか、その理由を具体的に説明していきます。

 

 

これを読んでるのは大半がオトナだと思うので、一般的なおとなにもわかりやすいよう、ゾフィス戦でのブラゴとシェリーから例に挙げてみます。

ゾフィス戦で、敵の作戦に動揺していつもの強さをなくしたシェリーお嬢さまに、ブラゴの “右ストレート” が炸裂!

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グハッ!(効果音は嘘ですw)

親友のはずだったココに、じつは昔から心の中では裏切られていたと告白されて、心の力が弱くなったシェリーはいつもの高いプライドも強さも失って普通の女の子に…💦

これはゾフィスの作戦だったのですが、ショックで戦闘不能に陥ったシェリーに対し、ブラゴは「ふざけんな!目を覚ましやがれ!」とばかりに右ストレートをくらわせます。

ここいらへんのリアリティは、アニメというフィクションをオトナの目で観た場合には、十分にうなずけるだけの真実味があります。

ブラゴのキャラならあのくらいやるだろうなとか、なんのかんの言ってもシェリーも若い女の子なんだし…とかですね。

 

そもそもブラゴというキャラは、三下ふぜいの魔物とは格が違うので、強い力を持っているからやりたい放題するような魔物ではなく、筋を通すことにこだわるようなタイプの魔物なのです。

一般的なレベルのおとなの読解力に照らし合わせても、フィクションの世界で、ブラゴのような魔物がパートナーの女子の顔を『拳で殴る』のには、それ相応の理由があるはずです。

ブラゴがシェリーを容赦なく殴り飛ばした理由は、この両者がこれまで築いてきた強い絆あってのブラゴの怒りであり、相棒への要求であって、男前なシェリー姉さんはこれで覚醒していつもの自分を取り戻すわけですね。

…というふうに私は考えていたのですが、本編では、か弱い女の子になっちゃった無力なシェリーに呆れてブラゴは彼女を見放し(たように見え)、シェリーは自分とココとの「信じられる大事な記憶」によって自力で覚醒します。

これ、ぶっちゃけ「この辺りの展開ってこんなだったっけ?」って、首をかしげながら観てしまいました。

ここで一時的に別人化したシェリーよりも、明らかにもっと完全に別人化してしまったキャラのインパクトのほうが大きすぎて、この辺りの詳細は私の記憶には残っていなかったんですよね。

 

そんなこんなでシェリーとブラゴが大ピンチになって、仲間(じゃないけど)が駆けつけてみんなで助けてくれるのは、子供向けアニメのお約束として良しとしましょう。

でも、鬼のシェリー姉さんが女の子しちゃって攻撃呪文が発動しなくなるのは、平成も終わりに近い今の感覚だと、それ自体ちょっと違和感ありそうですよね。

いやいやあのシェリーがそこまで弱くはならないでしょ?とか、その延長でブラゴがシェリー殴るのはいらなくない?って思うひとなんかも結構いそうです。

こういう世代間の意識のギャップの問題は、「そういうもの」として、いったん分けて考える必要があると思います。

アニメのガッシュベルを制作していた当時のアニメスタッフの大半は、年代的にバブル期以前の昭和の生まれだと考えられます。

となると、昔のドラえもんと今のドラえもんが、原作に沿ってはいてもちょっと違うみたいに、アニメ制作スタッフの世代の違いによる、異なる意識や見解があって当然だと思うんですよね。

 

 

これらを踏まえて、今度は途中から完全に別人化したゾフィスについて検証していきます。

ゾフィスのキャラは、この辺りまでは邪悪さとお上品さが売りでした。

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一人称は「わたし」で、デスマス調で話すタイプのキャラです。

でも、ブラゴ達との決戦が始まると、シェリーの唐突な「か弱い女の子化」同様、ゾフィスもひと(魔物)が変わったようになります。

しだいに声を荒げて「ふざけんじゃねぇ!」だの「くたばりやがれ!」といった、ゾフィスとも思えない粗暴なセリフを連発するようになります。

「ふざけやがって」なんかもそうですが、これはブラゴみたいな武闘派キャラのセリフなわけで、本来のゾフィスのセリフではありません。

シェリーの女の子化以上に、何か違うという違和感が半端なく大きくなってゆきます。

この戦いの辺りから、アニメには少しずつ「これまではなかった勝手なオトナの観点」みたいなものが混じってきます。

たとえばガッシュが「てめえ、ぶざけてんじゃねえぞ」などという粗暴な言葉づかいをするようなことがあったら超違和感ですよね?

ガッシュの「昔のサムライもどき」の独特な言葉づかいの理由はわかりませんが、ガッシュがアレ以外の言葉づかいをするのは変ですよね?

ゾフィスの場合にもそれと同じような違和感をおぼえたわけです。

もともと「くたばりやがれ」なメンタリティのキャラだったのが、カッコつけて上品ぶってたというよりは、追いつめられつつあるなかで逆上したみたいな描き方で、ここが引っかかったんですよね。

すなわち「ガッシュたちの共通の敵に相応しい悪役のゾフィス像」になるように、子供にもわかりやすい下品で野卑た言動にわざと転換したような、アニメ制作側のおとなの作為を感じたのです。

私は原作を読んだことがないので、この辺りは原作ではどうだったのか全く知りません。

私の記憶からは完全に欠落していたにせよ、それでもシェリーとココ、シェリーとブラゴの絆なんかはまだ本物らしさというか、それまでの基本のトーンから逸脱した感じはしませんでした。

がしかし、そこに少しずつオリジナルとは異質な別の観点や、制作側の意図みたいなものが重なって、混沌とした様相を呈してくるようになるんですよね。

ここまでずっと基本的に純粋な子供目線を基準に描かれていた物語に、唐突に無関係な「おとなの都合や事情」といった不純物が混ざりだしたことを、当時の私は敏感に察知したのでした。

 

 

戦いが大詰めになってくると、ゾフィスはこれまでとは打って変わって知性のかけらもない粗野なセリフを連発したり、子供ウケを狙ったのか変顔も見せたりするようになります。

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途中から一人称が「俺」になったり、どうせゾフィスのファンなんかいないだろう(?)から、ここへきて別人みたいな言動をしようがやりたい放題です。

ガッシュ達だけでなく、か弱い女の子状態から復活して、いつものお上品だけどコワいお姉さんに戻ったシェリーとブラゴの攻撃呪文も炸裂して、追いつめられたゾフィスは、それでも最後の抵抗を試みます。

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そして、ゾフィスがココの記憶を盾にして、いったんシェリーに勝ったつもりになるのですが、悪魔のごとき形相とオーラで迫ってくるブラゴがマジ怖すぎて、泣いてごめんなさいするはめになります(おいおい💧)

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よほど怖かったのか、この後のゾフィスは、涙腺全開になっちゃうわ叱られたお子ちゃまのごとくしゅんとするわで、別人と化して反省のポーズを見せたりもします💧

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これが興ざめもいいところだったんですよね。

いや、それ大人の勝手な妄想で、あのゾフィスがそうはならないでしょ⁈

この辺りまでくると、違和感どころじゃなくて、もはやゾフィス別人になっとるやん…と呆れるほかありません。

でも、ここに先刻の世代間意識のギャップを持ち込むと、当時の大人の側はノープロブレムだったりするんですよね。

ノープロブレムな世代のおとなの目には、強いシェリー姉さんが唐突にか弱い乙女化しようが、ゾフィスがまったくの別人化しようが、ぜんぜん違和感なく映っていたりするようです。

ゾフィスが自分の非を認めて反省したのなら「“殊勝な態度”になるべき」で、それが「正しい子供」像だし、子供なら怖かったり叱られて泣いたりもするのも当たり前だろうみたいな感覚?

ゾフィスはブラゴが怖かったから、今だけおとなしくしてみせただけなんじゃないの?って、大抵の子供はそう考えたんじゃないかと思うんですけどね。

 

 

当時、このアニメを作っていたオトナの皆さんには、子供には「子供だましが通用する子供であってほしい」という勝手な思い込みや幻想なんかがあったのではないでしょうか。

今でもよくあることですが、でも、そういうのを察知した子供の側は、「何にもわかってないな」と呆れるか、反省したフリだけしておけば大抵のことからは逃げられる、といった誤った認識を持つようになったりすると思うんですね。

この時のゾフィスのように、子供がいかにも反省してるふうに見える時ほど、わざとそうして見せてるポーズなんだって、かつては自分もそうだったのを忘れたんですかね?でも子供って、そういう生き物ですよ?

これは好きだし、全然いいけど、

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コレはコレ、あれはあれです。

ギャグで許せる部分と「綺麗ごとで台無しにされた押しつけがましいリアリティは別」なんです!

子供には子供の理屈があって、おとなの理屈は子供には通用しないんです。

ベリーメロンを歌って踊るのはOKだし、ガッシュの影響でブリが好物になるのもアリです。

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でも、あれだけやりたい放題してきたゾフィスが、1回ブラゴに負けたぐらいで、手のひらを返して殊勝に反省したりなんかするもんかい!って、その「嘘くささ」を押しつけてくるおとなの論理に私は我慢ならなかったんですよね。

ここは意地でもゾフィスには「今回は負けたけど次はそうはいかないからな!」と、表向きは殊勝なふりをしていても、心の中では意地でも強がってほしかったところです。

でないと、これまでゾフィスがやってきた残虐非道な悪事のあれもこれもすべてが薄っぺらく、かつ嘘っぽく見えてきませんか?

キャンチョメやティオやパティなど、いま観ても本気でイライラしてくるほどワキの子供キャラの感覚や言動が本物らしく描けていただけに、余計に「コレは違う」感がハンパなかったんですよね。

だから、アレはおそらくアニメのスタッフが勝手にやったことで、原作はここまで酷い展開ではなかったんじゃないかと勝手に思ってるんですけどね。

ここまでを『おとなの事情①』として、昔の私をブチ切れさせて続きを観るのを拒否させた理由とします。

 

『おとなの事情②』は、おそらく「尺が残り少なくなっていて “巻いた” んだろうな」という、今ならわかるアニメ制作側としては不可抗力でしかなかっただろう実際的な理由です。

オトナになった今の目で久しぶりに観た《金色のガッシュベル》は、面白かったのはやはりゾフィス戦あたりまでで、この後はラストへ向けてのインターバル的な回が続きます。

次の回は「新春スペシャル♪華麗なるVよ再び」ですから、今みても明らかに子供ナメてましたね。

これで本当に「あれでゾフィス編は終わりなわけ⁈」という落胆が、ならもう続きは観なくていいやと思わせてしまった理由なんですよね。

今回ようやくゾフィス戦の後の続きを通しで観て、テッド君は可愛かったけど、やはり他のキャラはどれもイマイチ描ききれてなかった感が否めませんでした。

つまらなくなった理由は他にもありました。

当時の私は気づいてなかったけれど、例によってガッシュベルも、アニメが原作に追いついて脚本が間に合わずにアニメオリジナル化するほかなくて、それで脚本が変わって暴走したんですよね?

たしかにラスト近くの怒涛の駆け足展開は今みても何が何だか……💧

てゆーか「あと何回で終わらせるぞ!」という無理矢理な空気感みたいなものが、内容以上にひしひしと伝わってきて、あれがいちばん問題でした。

いっそアニメはゾフィス戦までで終わっておけばよかったのに…仮に現場ではみんなそう思っていたとしても、出版社やスポンサーという大人の事情がそれを許さなかった可能性も否定できません。

それが原因で大暴走というのはありそうな話だし、FA以前のアニメ鋼の錬金術師もそうでしたが、原作が途中からアニメオリジナル化するとロクなことにはなりません。

こうした事情は子供にはわかりませんが、おとなになればそれなりに察しがつくものです。

ま、それでもやっぱりゾフィスが殊勝に反省してるふうな展開のラストは許せなかっただろうと思いますけどね。

 

 

許せないと言えば、シェリーとブラゴのコンビが土壇場で現れたあのクライマックスも、なんだかなぁでしたよね💧

いくらあのコンビがダントツで強いからといって、あのデカい魔物の動きを、唐突に現れたブラゴとシェリーだけで止めてみせるというのは…それ、やったらあかんやつでしょ?

しかも足止めを成功させたら、後はガッシュと清麿に任せてそのまま去ってゆくというのも、最後はご都合主義を優先してまとめてみました感がてんこ盛りで、ここでもやっぱり子供ナメてましたよね?

ハマってた当時に、ちゃんと最後まで観ていたらテレビ投げてたぐらい、とにかくあのラストはありえないほどグダグダでした💧

このあたりはネットで調べても、アニメのアレは別物と考えて「100話以降は原作を読め」的な意見がほとんどだったし、似たような考えのファンや視聴者もかなりいたようです。

 

かくいう私も、いまだに原作は読んでませんが、アニメのガッシュベルを台無しにしたのは作者じゃないと信じていますけどね。

金色のガッシュベル》の原作は、そのくらい登場する魔物の児童心理を上手に描いていて、単なるアニメやマンガの域を超えた作品でした。

個人的には、この作品は児童文学としても十分に通用したのではないか…と私は考えています。

その作者が描いていて、まさかこんな酷いラストにはしないだろう…というのが正直な気持ちなので、ゾフィス戦のラストが、じつはほぼ原作どおりだったりなんかすると、残念だったじゃ済まない話になってくるんですけどね💦

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だって、あのゾフィスが子供らしく「ごめんなさい」するなんて、ティオを裏切ったマルスのパートナーのモブおじさんなんかと同じような扱いなんですよ⁉︎

王を決める魔物の戦いをおのれの私利私欲の追求に利用しようとする『悪い人間』のモブたちとゾフィスが同レベル?

彼らは戦いに負けて本が燃やされてしまうと、異口同音に「俺が悪かった!謝るから殺さないでくれ」と叫んで逃げ出したんですよ?

セコい悪事をはたらくのがせいぜいで、魔物というツールを使えなくなった途端に逃げ出すような彼らのメンタリティはその程度で、だからモブの小悪党あつかいだったわけです。

そんな連中と魔物のゾフィスが同等だったりしたら、ゾフィスのせいで苦しむことになったたくさんの魔物たちや、シェリーやココだって馬鹿みたいに思えてくるんじゃないですか…💧

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石板に閉じ込められていた1000年前の魔物たちを蘇らせて配下に従え、月の光という特別な魔力を手中にしていてさえ、それでもゾフィスの正体は「単なる小悪党」にすぎなかったのでしょうか?

所詮ゾフィスは、ガッシュやブラゴの敵となれるような器ではなかった…それは事実かもしれません。

だからといって、ゾフィス戦のラストでブラゴたちに負けたら途端に別人と化したゾフィスは、あまりにもお粗末だったんじゃないのか…と。

 

2月いっぱいかけて、駆け足でどうにか最後まで通しで観たアニメ《金色のガッシュベル》の感想は、やはり昔も今も変わっていませんでした。

ゾフィス編のラストでは、今回もまた、さじだけでなく、ナイフもフォークも箸もまとめて投げてやりたい気分でした。

べつにゾフィスなんてどうでもよかったんだけど、子供相手ならアレでいいだろう?って感じが、いま観ても許せなかったんですね。

我ながら、おとなになってもたいして成長してないなと思う反面、ベリーメロン♪ を歌って踊っていた頃から、私ってばこういうことを考えてたのか…と再認識した次第です(笑)